一九九三年末、丸山眞男の肝臓癌が判明した。
二〇〇三年の暮れ近く、私は所有する四台の自転車の走行距離合計が四千九百十八・九キロメートルになっていることを発見した。
この疑わしい本の根底に何があるにせよ、ともかくそれは一流の魅力をそなえた第一級の問題であったに相違なく、そのうえ深く個人的な問題だったこともまちがいない、ーその証拠は、この本が成立した時期だ。
この小冊子は新しい科学への入門書として役立とうとするものではない。
ーまず田中さんのお名前の読み方です。世間では「せいげん」と読んでいますが。
殺風景な会場、壇上中央やや寄り、椅子に座った受賞者は、うつむき肩をすくめ、栄えある立場なのに、恐縮の態というよりなお、非難の視線一身に浴びて、ひたすら前非を悔いる、罪人の印象だった。
・・・・・・小説がかけなくなったらムリすることないよ。ムリはいけないな。
地球が誕生したのは約四六億年前のことと言われている。その地球に、最初の生命が出現するのは、それから約八億年後、つまり、いまから三八億年前である。
おそらく本書は、ここに表されている思想ーないしそれに類似した思想ーをすでに自ら考えたことのある人だけに理解されるだろう。
わが国の長い歴史のなかでも特筆されるべき不名誉な年に私は生まれた。
人はなぜ、科学者になるのだろうか。いつ、どこで科学と出会うのだろうか。
「幸江幸江じゃない」 「あら そういうあなたは優子」
わたしは「独仏年報」において、ヘーゲルの法哲学を批判するという形で、法学と国家学の批判をおこなうことを予告しておいた。
私がウィトゲンシュタインを初めて見たのは、一九三八年の秋学期、私のケンブリッジ大学での最初の学期だった。
東京都中央区の日本橋界隈に残る掘割のひとつ、亀島川が、隅田川に出るところに南高橋という小さな鉄の橋がある。
三年近く前に、人間ドックでガンが見つかり、胃を半分切りとる手術をしました。
一九六九年七月二十日の午前十時過ぎ、開店直後の新宿紀伊國屋のエスカレーター登り口のわきのところで、ぼくは一体自分が第三者の眼にはどんな若者にうつっているのかを初めはちょっと相当に気にしながら、激しい夏の陽ざしの中に突っ立っていた。
世界三大珍味の一つ、トリュフを探すため、メスブタが使われてきた。
地球概略史 地球においてワープ航法と反重力の発見は、宇宙旅行を驚異的に促進させた。
大事な用事や仕事があるにもかかわらず、まったくやる気がでなくて、ずっと家でだらだらしていたいとおもうことがよくある。
「おやっ」「おい きてみろ へんな石が あるぞ」
実にどうも、バカバカしい本であります。読んでいただく前に断っておきたいくらいバカバカしい。
『日本文学史序説』の〈序説〉はイントロダクションに近い言葉ですが、〈日本文学史〉というときに、私が何を意味し、何を理解しているかということを示したものです。
私はいま、日本近代を主人公とする長い物語の発端に立っている。物語はまず、ひとつの文明の滅亡から始まる。
「反哲学史」というのは、いかにも奇妙な表題です。
どのような環境に生を受けても、この世で生きていくのは難しい。
「なんで驚いているの?」 「えっ……?」
大学2年生の秋のある日の午後二時ごろのことでした。
小さい頃、僕はずいぶん幸福に暮らしていた。
私はあまり健全なる肉体を有してはいない。筋骨逞しくもないし、しばしば病院の世話にもなる。
勤務する大学で「二十世紀の戦争と平和」という連続講義の順番が回ってきた。
一九一八年にドイツが経験した精神の危機は、一九四五年のそれよりもいっそう深刻であった。
人並みはずれて丈が高い上にわたしはいつも日和下駄をはき蝙蝠傘を持って歩く。
僕はこの世界に、左足から登場した。
「ティラノサウルス」。おそらく最も有名な恐竜といえるでしょう。
私は、亡霊〔=帰り来たるもの(revenant)〕と炎と灰とについてお話しようと思う。
津田京子は、某流の謡曲の師匠であった。
テクストには通常「宛先」がある。私がテクストを読むとき、その「宛先」はとりあえず私一人である。
『サラの鍵』(監督ジル・パケ=ブレネール、原作タチアナ・ド・ロネ)というフランス映画を見た。
新選組局長近藤勇が、副長の土方歳三とふたりっきりの場所では、「トシよ」と呼んだ、という。
これまでの生涯、わたしはずっと日記をつけてきた。でもこれは日記ではない。